おはようございます。
日本一真っすぐ走る行政書士の湯上裕盛です。
熊本市東区を中心に半径100キロ圏内で活動しています。
↑範囲広っ!
今日は前職(正確に言えば前々職)でとにかくもまれまくった話します。
本社配属
セコムでラグビー部だった僕だけど、仕事もある程度していた。
ラグビーの文化として、企業スポーツなのでトップリーガーの選手であってもめちゃくちゃ仕事している。
普通にサラリーマンして終了後練習、トレーニングしているところもあって、とてもハードワークが求められる。
僕は4年目くらいから本社の営業開発部というところで法人営業部のシステムサポート営業サポートをするような部署に配属され、とにかくもまれまくった。
今日のメインはこの話。
セコムの本社営業開発部と言えばセコム社員、営業マンの中では花形でみんな憧れるカッコイイ場所だった。
エリートでキラキラした先輩揃いだった。
そしてとにかく田舎もんの僕がラグビーしに埼玉に行くこと自体ビビッてたのに、まさかの本社、原宿に通勤することになるとは思いもよらなかった。
毎日東武東上線~副都心線で明治神宮前まで通勤した日々が懐かしい(笑)
(満員電車もう嫌だ)
営業開発部は精鋭部隊だった
当時のことを思い出すと、懐かしいのだが、びっくりしたのは、金額の大きさ、そして仕事のスピード感。
とにかく見積を作る金額が大きくて目標金額も桁が違っていて驚いた。
そして何より、仕事のスピード感が全然違ったのだ。
1つの案件に時間がかかっていると次の案件がきて、それぞれに納期があって、処理能力が低い、僕にとっては驚きの連続と追われる日々だった。
そこでとにかく上司から怒られまくって周りの先輩や同僚から慰められていた。
しかし、その上司の文句が言いたいわけではなく、逆に感謝している。
怒られていたポイント
僕が特に怒られていたポイントは1つ。
伝えたいことがわからない。ということだった。
言葉での説明がへたくそで何が言いたいの?とごり詰めの毎日。(笑)
特に言われていたのが、2つで
プレゼン資料の内容についてとメールについて。
プレゼン資料
営業さんがお客様のところに持って行く資料作成が主な仕事で、やりたいことをヒアリングし、見積、提案書を作成し、場合によっては同行する。
成約したら工事業者と調整して警備開始まで指示だしや調整を行う。
この提案書作成に結構時間がかかっていて、よく上司に言われたことが見にくい、何が伝えたいかわからない。だった。
自分ではいいと思っていても違う視点からみたら全然だめ。
しかも、最大の欠点は質問されたときに返せないこと。
これって自分が理解できていないことの表れで、いつも『簡単に説明できないことは理解していない。』と突き返される毎日だった。
メールのやりとり
毎日何十件もメールがくるし、お客さんだけじゃなく各地方(全国)の営業所からの問い合わせもあって、メールでの往復がないように1発で言いたいこと、やって欲しいことを伝えるようとにかく言われ続けた。
メールCCには必ず入れていたので、送った後にゆがみぃ~と呼び出し…。ハイッ!ってのが日課だった。しかも正解は教えてくれない、自分で考えろ。そんな毎日だった。
そんなこんなで2年間
そんなこんなで2年間その上司の下でもまれに揉まれまくった僕は今では感謝している。
文章を送るときにこんなに考えたことなかったし、効率化するためにメールのやりとりは1回ですべて完結するよう、質問が来ないように考えるくせがついた。
そして先日のセミナーの資料作成をしていたときに上司の顔が浮かんでいた。
『この資料見せに行ったらなんていわれるかな?』
そんなことを考えていた。
今のぼくがあるのは間違いなくあの時2年間、きつい思いをしたからだ。
正解を教えてくれない、自分で考えろはきつかったけど、自分で考える癖がついた。
最後に
そして最後に忘れられない言葉。
2年間1度も褒められたことはなかったけれど、
僕が見積と提案書で金額をミスってしまった時のこと。
正直にミスってしまったことと、理由を説明したとき、
『わかった。わかったけど、湯上らしくない。』
と一言。すみませんでした。と席に戻る僕はなんだかとてもうれしかった。
今思うと地獄のような2年間だったけど、今の行政書士という仕事に確実に生きてるし、成長させてもらえた2年間だったと思う。
今ではとても感謝している。
もっともっと成長して九州で1番になったら会いに行こうかな。